風が頬を撫でて行く秋の午後、ふと立ち寄った街角のカフェで、鏡越しに映った自分の顔に言いようのない違和感を覚えました。
それは、長い間心の奥底に沈んでいた”もやもや”とした感情が、ひとつの輪郭を持って浮かび上がった瞬間でした。
この春、講談社を退職してからというもの、私の中には名前のつけられない感情がくすぶり続けていたのです。
もやもやの正体とは何だったのか
年齢を重ねることへの戸惑い
67歳という年齢を迎えて、私は初めて「老い」というものと向き合うことになりました。
若い頃から美容業界に身を置き、数々の美容家や文化人との交流を深めてきた私にとって、年齢を重ねることは決して恐怖ではありませんでした。
むしろ、それぞれの年代に宿る美しさがあることを、この目で見続けてきたのです。
けれども、いざ自分のこととなると話は別でした。
朝の洗面台で出会う自分の顔に、かつてのような艶やかさを見つけることができず、心がざわつくのです。
鏡に映る自分は確かに私なのに、どこか知らない人のような気がしてしまう。
そんな不思議な感覚に戸惑いを隠せませんでした。
社会的役割からの解放と孤独
長年勤めた講談社を離れ、編集者という肩書きから解放された今、私は新たな自由を手に入れました。
しかし、その自由と引き換えに失ったものもあったのです。
それは、社会の中での明確な立ち位置でした。
「FRaU」や「ミセス」の編集者として忙しく駆け回っていた日々は、確かに大変でしたが、同時に私という存在を明確に定義してくれていました。
フリーライターとしての道を歩み始めた今、その自由さと裏腹に、ふとした瞬間に襲う孤独感がありました。
誰かに必要とされている実感、社会とのつながりを感じられる瞬間が、以前より少なくなったような気がしていたのです。
鏡の中の自分に抱く違和感
何より辛かったのは、鏡に映る自分への違和感でした。
外見の変化そのものよりも、その変化を受け入れられずにいる自分への苛立ちの方が大きかったのかもしれません。
美容について書き続けてきた私が、自分の変化を素直に受け入れられないなんて。
そんな矛盾した気持ちが、心の奥でくすぶり続けていました。
時折、ガーデニングをしながら土に触れている時だけは、そのもやもやを忘れることができました。
源氏物語の現代語訳を読み比べている時間も、心が静かになりました。
けれども、日常に戻ると、再びあの名前のつけられない感情が戻ってくるのです。
「たかの友梨」との出会い
誘われたきっかけと初訪問の印象
そんな折、長年の友人である文芸評論家の田中さんから、思いがけない提案を受けました。
「芳子さん、たまには自分をいたわってみない?」
彼女は、たかの友梨ビューティクリニックでのフェイシャルエステを勧めてくれたのです。
正直なところ、最初は躊躇いました。
67歳になって今さらエステなんて、と思う気持ちもありました。
でも、田中さんの「内面の美を探る旅の一節として」という言葉が、なぜか心に響いたのです。
表参道のサロンを訪れた日のことは、今でも鮮明に覚えています。
重厚なドアを開けると、そこには洗練された空間が広がっていました。
赤い絨毯を踏みしめながら受付に向かう間、不思議と緊張が和らいでいくのを感じました。
スタッフの方の丁寧な応対に、ここが単なる美容サロンではないことを直感したのです。
エステティシャンとの静かな対話
カウンセリングルームで出会ったエステティシャンの山田さんは、40代後半と思われる落ち着いた女性でした。
彼女は私の肌の状態を丁寧に診察しながら、決して押し付けがましくない口調で話しかけてくれました。
「お肌の状態から、日々とても気を遣われていることが分かります」
「でも、少しお疲れのようですね」
その言葉に、思わず涙が溢れそうになりました。
長い間、誰にも話せずにいたもやもやした気持ちを、彼女は肌の状態から読み取ってくれたのです。
「今日は、頑張り続けてこられたご自分を、ゆっくりといたわってあげてください」
山田さんのその言葉が、凝り固まっていた心をそっと解きほぐしてくれました。
施術室に流れる時間の質
個室の施術室は、外の喧騒を忘れさせてくれる静謐な空間でした。
ほのかに香るアロマの匂いと、クラシック音楽の調べが、心地よい眠気を誘います。
施術台に横たわりながら、久しぶりに時間を気にせずに過ごせることの贅沢を感じていました。
ここでは、編集者だった私も、ライターとしての私も関係ありません。
ただ一人の女性として、自分自身と向き合うだけの時間が流れていました。
山田さんの手が頬に触れた瞬間、なぜか安心感に包まれました。
それは母の手のような温かさでもあり、姉妹のような親しみやすさでもあり、友人のような信頼感でもありました。
長い間、自分で自分をケアし続けてきた私にとって、誰かに委ねることの心地よさは新鮮な発見でした。
美容を超えた”耕し”の時間
肌だけでなく心に触れる施術体験
山田さんの手技は、確かに熟練されたものでした。
たかの友梨独自のハンドテクニックは、肌の表面だけでなく、その奥にある筋肉や血流にまで働きかけているのが分かります。
クレンジングから始まり、丁寧な洗顔、そして美容液を使ったマッサージへと続く一連の流れは、まるで肌への愛情表現のようでした。
でも、それ以上に印象的だったのは、施術を通して自分の心が静かになっていくことでした。
山田さんの手が私の肌に触れるたび、長い間緊張していた心の筋肉がほぐれていくようでした。
「お疲れ様でした」
そんな言葉をかけられているような気がして、胸の奥が温かくなりました。
自分をいたわるという行為の意味
施術の途中で、ふと気づいたことがありました。
私は長い間、自分をいたわることを忘れていたのです。
他人の美しさについては数え切れないほど語ってきたのに、自分自身の美しさについて、真剣に向き合ったことがあったでしょうか。
仕事に追われ、日々の雑事に追われ、いつしか自分のことは後回しになっていました。
でも、この施術室で過ごす時間は、自分と向き合うための大切な時間だったのです。
山田さんが私の肌に触れる手つきは、とても丁寧で優しいものでした。
- 肌の状態を確認しながら、必要な箇所により時間をかける
- 強すぎず弱すぎない、絶妙な圧加減で血行を促進する
- 一つ一つの工程に十分な時間をかけ、決して急がない
その手つきを感じながら、私も自分自身にもっと優しくしてあげようと思いました。
エステティックに宿る”文化”と”哲学”
山田さんとの会話の中で、エステティックの奥深さについて改めて考えさせられました。
彼女は皮膚医学や生理解剖学などの専門知識を持ちながら、同時に人の心に寄り添う技術も身につけていました。
「エステティックは、外見を美しくするだけでなく、その方の人生を豊かにするお手伝いだと思っています」
彼女のその言葉に、私は深く頷きました。
確かに、ここで体験していることは単なる美容術ではありませんでした。
それは、自分という存在を大切にするための時間であり、内面と外面の調和を取り戻すための儀式のようなものでした。
たかの友梨の理念には、「外見のケアを通して内面を耕す」という思想があることを、身をもって理解したのです。
遠藤周作の「深い河」を読んだ時に感じた、人間の内面の深さと美しさ。
その感動が、この施術室でも蘇ってきました。
美しさとは、表面的なものではなく、その人の生き方や心のあり方に宿るものなのだと、改めて実感したのです。
晴れゆく心と見えてきたもの
帰り道に感じた”軽さ”の理由
施術を終えて表参道の街に出た時、不思議な軽やかさを感じていました。
肌の状態が改善されたことは確かでしたが、それ以上に心が軽くなっていることに驚きました。
歩きながら、ショーウィンドウに映る自分の姿を見て、久しぶりに微笑むことができました。
それは、外見の変化というよりも、自分自身への見方が変わったからだと思います。
長い間抱えていたもやもやした気持ちが、施術室で過ごした3時間の間に、いつの間にか晴れていたのです。
秋の夕日に照らされた街並みが、いつもより美しく見えました。
道行く人々の表情も、以前より優しく感じられました。
それは、私自身の心が穏やかになったからに他なりません。
見た目の変化より大切だったこと
確かに肌の調子は良くなりました。
血行が促進されたおかげで、顔色も明るくなったように感じます。
でも、それ以上に大切だったのは、自分を大切にすることの意味を思い出せたことでした。
67歳になった今だからこそ、自分をいたわることの大切さが身に染みて分かります。
若い頃は、多少無理をしても体が持ちこたえてくれました。
でも今は、自分の心と体の声に耳を傾け、丁寧にケアしてあげることが必要なのです。
エステティックの真の価値は、外見を一時的に美しくすることではなく、自分自身との関係を見直すきっかけを与えてくれることにあるのだと気づきました。
「もやもや」に名前をつけられた安心
帰宅してから、久しぶりに自分の日記を開きました。
そして、これまで「もやもや」としか表現できなかった感情に、ようやく名前をつけることができました。
それは「変化への戸惑い」でした。
年齢を重ねることで起こる様々な変化に、心がついていけずにいたのです。
でも、その戸惑いは決して恥ずかしいことではありません。
むしろ、人生の大切な節目で感じる自然な感情だったのです。
たかの友梨で過ごした時間は、そんな自分の気持ちを受け入れることを教えてくれました。
心の整理がついた理由
- 自分をいたわることの大切さを実感できた
- 年齢を重ねることの意味を前向きに捉えられるようになった
- 内面の美しさについて深く考える機会を得られた
- 一人の時間を大切にすることの価値を再発見した
山田さんとの対話を通して、私は自分の中にあった様々な感情を整理することができました。
それは、まるで心の断捨離をしたような清々しさでした。
まとめ
“もやもや”が晴れるまでの心のプロセス
振り返ってみると、私の心の変化には明確なプロセスがありました。
最初は、名前のつけられない不安感や戸惑いがありました。
次に、その感情を受け入れることへの抵抗がありました。
そして、たかの友梨での体験を通して、自分自身と向き合う時間を持つことができました。
最後に、その感情に名前をつけ、受け入れることができるようになったのです。
このプロセスの中で最も大切だったのは、自分を客観視する時間を持てたことでした。
日常の忙しさに追われていると、自分の心の声に耳を傾ける暇がありません。
でも、施術室という特別な空間で過ごした時間は、久しぶりに自分と向き合う貴重な機会となりました。
「外見を整えること」が内面に作用するしくみ
エステティックの体験を通して、外見のケアと内面のケアが密接に関連していることを実感しました。
肌に触れられることで心が安らぐのは、科学的にも証明されているリラクゼーション効果によるものです。
また、自分を大切にする行為そのものが、自己肯定感を高めてくれます。
美しくなることへの努力は、決して虚栄心からくるものではありません。
それは、自分という存在を大切にし、人生を豊かにするための大切な行為なのです。
特に年齢を重ねた女性にとって、外見のケアは自分らしさを保つための重要な手段でもあります。
年齢を重ねた今だからこそ響くエステの意義
67歳になった今だからこそ、エステティックの真の意義が理解できるようになりました。
若い頃のエステは、どちらかというと「もっと美しくなりたい」という欲求から始まるものでした。
でも、年齢を重ねた今のエステは、「自分を大切にしたい」という気持ちから始まります。
この違いは、とても大きなものです。
前者は他者からの評価を意識した美しさですが、後者は自分自身のための美しさです。
たかの友梨での体験は、まさに後者の美しさを追求するためのものでした。
山田さんをはじめとするスタッフの皆さんは、私の年齢や立場を理解し、それに応じた配慮をしてくださいました。
決して若返りを無理強いするのではなく、今の私にとって最適なケアを提案してくれたのです。
このような質の高い施術を提供できる背景には、たかの友梨の社員に対する充実した研修制度があることを後で知りました。
皮膚医学や生理解剖学はもちろん、お客様の心に寄り添う技術まで徹底的に学ばれているからこそ、あのような丁寧な施術が可能なのでしょう。
読者へのメッセージ:「自分をいたわる勇気」を
この体験記を読んでくださっている方の中にも、私と同じような「もやもや」を抱えている方がいらっしゃるかもしれません。
年齢を重ねることで生じる様々な変化に戸惑ったり、自分の居場所を見失ったりすることは、決して珍しいことではありません。
そんな時は、どうか自分を責めないでください。
そして、自分をいたわることを恐れないでください。
エステに行くことも、美容に時間をかけることも、決して贅沢なことではありません。
それは、自分という存在を大切にし、人生を豊かにするための大切な投資なのです。
私がたかの友梨で体験したのは、単なる美容術ではありませんでした。
それは、自分自身との関係を見直し、内面の美しさを育むための貴重な時間でした。
もし、心のどこかに名前のつけられない「もやもや」を感じていらっしゃるなら、ぜひ一度、自分をいたわる時間を作ってみてください。
それは、エステでも、読書でも、ガーデニングでも、何でも構いません。
大切なのは、自分自身と向き合い、自分を大切にする気持ちを持つことです。
きっと、その時間があなたの心を晴れやかにしてくれるはずです。
そして、年齢を重ねることの美しさを、改めて発見できることでしょう。